原発が嫌でも電気を使うという矛盾というブログを読みました。
■原発停止も東京に影響なく…柏崎市長が「違和感」
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/75500/ 柏崎市長:「本来なら首都圏の電力供給に影響が出るのに、東京ではまったく影響もなく生活が続けられていることに非常に違和感を持った。原発は地球温暖化に貢献するので大事と言われているが、(火力発電の再稼働で)逆に温室効果ガスの排出量を増やすような状況が出てきている。原発立地の地元がこれだけ地震の被害を受けて苦しんでいる。同じ苦労をしろとは言わないが、供給を受けている地域も節電をするなど電力が送れなくなっていることの一端を担うべきだ。
(原発は)たびたび止まっており、トータルで原発の脆弱(ぜいじゃく)性を感じる。こういう時期こそ、わが国の電力エネルギーの在り方を国民一人一人が考える機会にすべきだ。」 「クーラーで涼しいことはいいこと」っていう社会常識、テレビのクーラーのCMで、じゃんじゃん流していることで、みんなが思い込んでる常識が覆されない限り、無理です。
商業施設では、資本主義の原則で他店との競合に勝つため、より涼しくして、お客様に奉仕しないといけません。他店が設定温度を上げたら、うちは設定温度を下げて、お客様に、より心地よい思いをしてもらって、売上を上げなくてはいけないのです。
ましてや、商業施設で、クーラーの使用を止めるなんてしたら、売上が減るに決まってるわけで、そんなことができるはずありません。
会社や学生だって、クーラーを使えば仕事の能率が上がるので、競争上、クーラーを使うしかありません。
要は、
国全体で、クーラー使用を禁止でもしない限り、資本主義の原則が、エコの原則に勝つのです。
実際、東京の一市民が同情して節電しても、地震を止める事も、原発の安全性を高めることも出来ませんし、一社会人がクーラーを止めたら、社会常識が「クーラーで涼しいことはいいこと」になってる限り、ただの非常識人になるだけです。
よく「地球のために、ひとりひとりで出来ることから始めよう。」なんて言われますが、それは、個人への責任転嫁です。
一人一人は、資本主義の原則にしたがって、会社の利益、家族の豊かさ、自分の豊かさを最大にするために、社会常識に従って暮らすしかないのです。
さらにいえば、原発のある地域だって、資本主義の原則にしたがって、地域がもっと豊かになるために、原発の立地、運転を受けたのです。
資本主義の原則と、社会常識に従って行動しているのは、東京の一市民も、原発のある地域の一市民も同じと思います。
また、電力需要が供給力を上回って、輪番停電になっても、需要地の人が困るだけです。節電しても、被災地の人の痛みは消えません。
批判しても、資本主義の原則と、「クーラーで涼しいことはいいこと」っていう社会常識から批判していかないと、エコのための批判にならないと思います。
してみると、柏崎市長の批判って、何の目的の「批判」なのでしょうか?。
なんか、節電と被災を出汁にした、別の目的があるのかな?と思いました。
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2007/08/21 (火) 13:24
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最近テレビを見てばかりの生活。。。ついつい見てしまう。。。なんで、テレビどうやってできたんだろう
- 2007/08/21(火) 14:50:17 |
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