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2012年03月21日(水) ◇ マニュアル主義 (考えたこと)

 1970年代前半、ちょうど福島第一原発が出来て数年経った頃の話です。
 当時私は親に連れられて、平駅(今のいわき駅)から上り電車に乗ったのでした。ちょうど、平ケイリンが開催されて、今のケイリン場に集う方々と似た客層の方、中高年の男性たくさんと一緒の電車に乗りました。

 で、その時私は子供で、最初に入った人が窓を開けて、開けた窓からたくさんの大人が電車に乗る様子を見た事を覚えています。
 その当時は、単純に怖かった、たくさんの中高年男性が窓を開けて電車に乗る様を見てビックリしました。
 電車は、ドアから整列乗車するものと教えられたので、それと違う、我先に電車に乗る光景でした。
 今考えると、窓から電車に乗っちゃいけない法律があるわけでなく、たくさんの人が短い時間で電車に乗るには、むしろ窓から乗り降りするのは、最も合理的な方法と思いました。
 今は、日本のどこに行っても、窓から電車に乗り降りする人を見る事はないでしょう。そういう意味で、大人しくなった、電車に乗るにはドアから乗るという「マニュアル」に従う人が増えたんだろうと思います。

 で、福島第一原発の事故の話を考えてみたいです。あの電車の窓からジャンジャン乗り降りする人達が、原発を管理してたら、というか、ああいう勢いで原発を作ったのでしょう。
 絶対にあっちゃならない事は、炉心溶融な訳で、それを防ぐためなら、1号機の電源が無くなってから2~3時間後にはベントして炉内の圧力を抜いて、放射能を漏らして、1次冷却水を外部から注水といけないはず。なのに、非常用復水器の動作の目視確認もせず、何もせずただ時間を費やしたという。

 非常用復水器が動いてるか、目視で確認してない状態なら、燃料溶融する可能性が極めて高いわけで、燃料溶融を防ぐためなら、1次冷却水が直接ベントされて放射能が漏れても仕方ないはず。というか、最も事故を小さくする方法を選ぶなら、そうするはずです。
 しかし、そうしなかった。マニュアルに、「電源が喪失したら何時間後までに必ずベントする事」って書いてないから、それに従っただけという。
 マニュアル主義によると、マニュアルにない事をやる方が、炉心溶融するより悪いのだろう。マニュアルに従って炉心溶融しましたって事なら、組織の責任になるけど、マニュアルにない事をやって放射能が漏れましたって事なら、個人のせいになるって事なんだろう。
 でもって、電源喪失と炉心溶融を想定して1次冷却水と放射能を漏らすマニュアルを書くと書いた事で、放射能が漏れる事を想定したという事で責任を問われるという。放射能は漏れないという建前が危機に対応できないマニュアルを作りだして、結局事故をどんどん大きくしていったというか、炉心を溶かしたという。

 炉心さえ溶かさなきゃ、ベントして圧力を抜いて一次冷却水に海水を足してたら、周りの人はもう帰れただろうに、、という。

 建前主義の過剰とマニュアル主義のまん延が、炉心まで溶かす前に、危機管理の方を先に機能不全に追い込んだ。

 福島第一原発を作った人達の勢い、時代なら、さっさとベントして隠ぺいしたんじゃなかろうかと妄想しました。そういう意味で、マニュアル主義、公開主義、建前主義がそれじゃ管理できない原発を未だ抱え込んだのが、事故がここまで大きくなった原因だろうなと。
  1. 2012/03/21 (水) 00:27
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