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2012年03月12日(月) ◇ 東京電力福島第一原発1号機の水素爆発から1年 (考えたこと)

 2011年3月12日15時36分頃、東京電力福島第一原発1号機で水素爆発が発生して、建屋が吹き飛びました。
 あれから、ちょうど1年です。前日夜には既に1号機がメルトダウンしていると考えられていますが、同原発による外部への大規模な放射性物質の放出は、3月12日の1号機ベントと水素爆発から始まりました。
 1号機の水素爆発の映像は、福島中央テレビが撮影し、日本テレビでほぼ、リアルタイムに中継されていました。
 原子力発電所から大きな白煙が上がる映像は、大変な衝撃と記憶しています。

 1年前の前日までは原子力発電所の「中の事故」ですが、この日以降、放射性物質による外部への大規模な汚染が始まりました。その意味で、東京電力福島第一原発事故と住民にとって、とても重要な日といえます。
 なのに、昨日の津波のニュースに紛らすよう、テレビは昨日にほとんどの特番を組んだようです。
 「木を隠すなら森の中」という事で、被害を小さく印象付ける情報操作でしょう。

 12日の1号機水素爆発による放射性物質は、
http://www.pref.fukushima.jp/j/7houbu0311-0331.pdf
 によると、12日21:00に南相馬で、20マイクロシーベルトになり放射性物質が到達した事を示しています。同所では、翌13日7時53分には、3.59マイクロシーベルトに下がってます。
 そして、
http://www.tohoku-epco.co.jp/ICSFiles/afieldfile/2011/03/13/1_110313_onagawamp.pdf
 によると、12日の20時頃から女川原発の放射線量が上昇し、24時頃には、ピークになり、21000(nGy/h)に到達して、翌朝には、およそ5000(nGy/h)(対数グラフなので読みづらい)に下がってます。
 12日の水素爆発による放射性物質は、気象庁の仙台の記録では南風で、福島県沿岸部を北上して、夜半に西風になり、女川方面に達した後、仙台に降雨の記録が残っていない事から雨による降下はなく、一部沿岸部に降下をしつつ太平洋に抜けていったものと思います。

 2011年3月12日の水素爆発による放射性物質が一体どういう経路で流れたのか。きちんと他の日の記録も含めて、記録するべき話だし、考えるべき話です。
  1. 2012/03/12 (月) 18:31
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