京王線に乗る人は、みんな高幡不動尊を知ってるなぁと思います。高幡不動尊には、5重の塔があるんですが、コンクリ製なので、いつ建てたんだろうと思いました。
それ以上に、ご利益もありますが、何でここに高幡不動尊が立っているのか?不思議に思っていました。
新宿から結構離れてるし、というか、都心から結構離れた、駅前に梨畑がたくさんあるような、京王線沿いには、稲城とか北野駅前に、昔は結構梨畑があったなぁなどと思いつつ、なんで梨畑があるような田舎にこんな立派なお寺が建っているんだろうかと思いました。
最近になって、浅川と多摩川の合流点が高幡不動尊のすぐ近くにあるので、昔から高幡不動尊の周辺は、水害に見舞われる事が頻繁にあったんじゃないかと思うようになりました。高幡不動尊はお寺です。神社は、人が亡くなった時に弔う事はしませんが、お寺は人を弔います。
なるほど、水害でたくさんの人が亡くなった時に、遺体の処理をする施設が必要でしょうから、神社じゃないという事と符合すると思いました。
川崎大師とか、多摩川の河口にもお寺があるから、あれも多摩川水害の遺体処理から必要とされて、水害鎮護祈願で建てられたのかなぁと思いました。
そう考えると、浅草寺も隅田川沿いだし、荒川が出来るまでは、浅草寺周辺も頻繁に水害に見舞われていてもおかしくないと思いました。浅草寺もお寺だよなぁ。
西新井大師も場所的に隅田川が氾濫したら、水害でたくさんの人が亡くなった場所だろうと思いました。
地名で、塩釜という地名が、伊達正宗の時代にも東日本大震災と同クラスの大津波が来て、水をかぶった土地の復興策で製塩業を盛んにした事からついたという事を聞き、昔から震災にあっても、地名に大津波町とか、そのまんまはつけないと思いました。そうつければ、津波の「教訓」がはっきり後世にわかりやすく伝わるのに「復興」が優先されるというメンタリティと思いました。
今だって、福島県にセシウム県とかつけないので、メンタリティは変わらないと思いました。
京王線に長沼駅があって、場所的には、浅川と湯殿川合流点で、ここも水害で頻繁に「長い沼」になったんだろうなぁとか、東北本線の岩沼駅は、津波で「岩と沼」になったから、そういう地名になってたのかと地名に、沼がつくのは、歴史的に水害に見舞われやすい地域なんだろうなとか、中河原、分倍河原は、そのまんま「河原」という事で、多摩川の水害で歴史的によく河原になった場所と思いました。
聖蹟桜ヶ丘の京王ストアは地下フロアがないのも、地下に食料品売り場を作る事が多いけど、あそこも多摩川の水害が起こったら、地下が全部浸水してヤバいと考えて地下を作らなかったんだろうと思いました。
高幡不動尊は、あの辺一体で多摩川水害を起こらないよう祈願するのが元々の目的というか、ご利益だろうなぁというのと、あの辺りの川に纏わる地名の多さは符合すると思いました。
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2012/01/07 (土) 23:30
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京王線沿いの大学だったので
感慨深く読ませていただきました。
- 2012/01/09(月) 14:54:19 |
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- tesa #-
地名に歴史ありというか、社会科の副読本でこの辺りの水害の歴史というか、多摩川の歴史は見た記憶があったなぁと思いました。
地名って込められている情報があると思いました。沼、浜、河原、なんかは、特徴的かなぁ。その情報を読み取ることが、歴史に学ぶ事かと思いました。
- 2012/01/12(木) 00:22:38 |
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