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2011年03月31日(木) ◇ 気仙沼市 津波 (考えたこと)

 東北地方太平洋沖地震、同時に発生した津波で亡くなられた方に、哀悼の意を表します。

 気仙沼市の津波のビデオをニコ動で見ました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm13977990
 、、、絶句。この津波に耐えられる防波堤とか作る事が出来ないんじゃないかと思いました。高さ20m弱、時速40km位、長さにすると1km以上の海水の塊が、次から次へと陸へと押し寄せて、車も人も建物も飲み込んでゆきます。

 撮影者のいる建物は、7階以上のコンクリートの建物、映ってる建物は、気仙沼市の合同庁舎(8階建て)です。

 陸に津波が到達してから、わずか3分後には、撮影者の周りは全て高さ15m以上の濁流の中。気仙沼市の地形も相まって、こういう津波になったと思われます。気仙沼市はどうやって復興するのかと思いました。こんな津波が、100年に一度来るとわかって、海沿いに住めるだろうかと思いました。

 高台以外は、全部津波に飲まれた気仙沼市。そんな恐怖を心底味わいました。「津波 気仙沼市」とか「気仙沼市 大津波」で検索する人もいるのかと思いましたし、気仙沼市以外にも、東北地方の各地にこういう津波が押し寄せたと思いました。

 ケータイでも簡単にHD動画が撮れるようになって、こんな映像が残る、、残った事は後世への遺産となると思いました。こんな事、文献に書いてあっても想像できないレベル、動画があるからこそ正しく後世に情報が伝わると思いました。
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  1. 2011/03/31 (木) 11:20
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2011年03月29日(火) ◇ 草野仁 (考えたこと)

 青森の六ケ所村の再処理施設の広報ビデオに、草野仁さんが出演していました。

 草野仁「原子力関連施設には、今後想定される地震に耐えられる耐震設計がなされているという事なんです。」

 なるほど原子力施設が壊れたら「想定外」の地震でした。と説明する余地が残っていると思いました。
 個人的にビシッとスーツを着てる場合、どこかしらにある胡散臭さを隠さなきゃいけないから、そうしてるんだろうなと思う事が多いので、草野仁さんは、適役と思いました。

 福島原発 東京電力のCM 草野仁さん。

 ビシッとカメラ目線で視聴者に訴えかける草野仁さん。「草野仁 ブログ」で検索したら、地震直後で止まっていました。今、草野仁さんが、ブログにどう書くのかと思いました。
  1. 2011/03/29 (火) 11:59
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2011年03月28日(月) ◇ 津波 自己破産 (考えたこと)

 東北地方太平洋沖地震、同時に発生した津波で亡くなられた方に、哀悼の意を表します。

 テレビで、津波で新築の一軒家を流された人を報道していました。両親と住む予定で、出来て数日の一軒家。両親は津波に流されて、、、。
 ローンあるんだろうか。頭金払ったんだろうなぁ、借家なら、大家が損して済んだのになぁなどと思いました。

 津波を生き残っても、流された家のローンが残り職場もなくなり自己破産で清算せざるを得ない人がたくさんいるんだろうなと思いました。たとえ、家が残っても職場がなくなったため、収入が途絶えて自己破産に追い込まれる方も多いんじゃないか、そういう目に見えない経済的被害は、テレビで映像化しにくいと思いました。

 アパート経営をされていて、建物は残ったけど資産以上に借金してて、原発風評被害や津波の経済的影響で、借り手がいなくなって、借金が返せなくなって自己破産。これは、国が保証してくれないと思いました。

 こういう被害も津波や原発被害が原因だけど、こういうリスクは大家がかぶらないといけないのです。地震保険も建物が残ったら出ないと思いました。銀行は大家の資産を処分して、一定被害を受けるんでしょうけど、お金を借りた時に顔をあわせた銀行マンが首になる事はないでしょう。だから、彼らはにこやかに仕事ができるんだろうなと思いました。

 一方、お金を借りた大家は、身ぐるみ失う事になります。資産以上に借金して大家になる事は、何十年もこういう危険性を背負うものと改めて認識しました。
  1. 2011/03/28 (月) 21:36
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2011年03月27日(日) ◇ 津波の力 (考えたこと)

 東北地方太平洋沖地震、同時に発生した津波で亡くなられた方に、哀悼の意を表します。

 津波の力、運動量っていうのが正しいみたいですが、それを計算してみました。
 20mの高さの津波が沿岸に時速40kmで押し寄せた場合を考えてみます。1立方メートル当たり、水は1トンですから、20mの高さの水の柱が出来たとすると、それは、20トンの重さになります。で、津波は、奥行きがありますから、それを15mとしますと、海岸線1m当りに300トンの水の塊が、時速40kmでぶつかる事になります。

 この津波が海岸で、コンクリートの塊(300トン)にぶつかって、津波が止まったとしたら、運動エネルギーは、コンクリートの塊に移動して、摩擦で引かれた分を除いた運動エネルギーで、300トンのコンクリートの塊が動き出す事になります。

 海岸の大きな岩が津波を跳ね返すのは、地盤と一体になっていてこのエネルギーを受け止めて跳ね返す→そして合成された力で津波の運動の方向が変わり、上に波が移動する。重力加速度で津波が押し戻されるという過程を経るんだろうと思いました。

 で、海岸線1m当たりで、300トン×時速40kmの運動エネルギーを地盤と一体化して受け止める構造物は、人間には容易に作れないんだろうなぁと思ったのでした。高さにして20m、厚さ15mのコンクリの板を海岸線に配置する図が浮かびました。

 普代水門 http://www.kahoku.co.jp/news/2011/03/20110326t35039.htm という水門があり、高さ15m長さ200mに及ぶ水門があり、被害を食い止めたという記事がありました。これも海岸線から300m上流に設置され、普代水門の上流200mまで津波が及んだそうです。
 津波が及んだ範囲のさらに山際に街があったため、被害が少なくて済んだということです。

 海岸線で津波を止める構造物を作るのは、無理なようと思いました。
  1. 2011/03/27 (日) 13:00
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2011年03月24日(木) ◇ 津波から学べる事 (考えたこと)

 東北地方太平洋沖地震、同時に発生した津波で亡くなられた方に、哀悼の意を表します。

 津波から学べる事はないかと思いました。そうしたら、武田邦彦先生の
 原発、緊急情報(1) http://takedanet.com/2011/03/post_b3c2.html
 に、原子力発電所について、
1) まず地震で壊れるということを国民に知らせること
2) 付近住民に逃げるためのオートバイと、ヨウ素剤を配ること

 と書いてあるのを読みました。原発事故の時に、みんなで一斉に同じ方向に短時間で逃げる時に、自動車を使うと渋滞になり、逃げられないという事を指しているのだろうと思いました。

 2011年の東北地方太平洋沖地震の津波では、地震発生から20分以内で、20m以上の高台にいかに早くみんなで逃げるかという事しかないと思いました。今回は、たくさんの映像が残っていますから、教訓として伝わると思いました。

 なので津波から学べる事は、原付やオートバイを一人一台用意して、常に津波警報が発令されたら、原付かオートバイで高台に逃げることしかないと思いました。

 こう書くと、オートバイや原付に乗れない人は、どうするのかという疑問に辿りつくと思います。その通りと思いました。
 行政は「みんなが助かる施策」をしないといけないので、こういう施策は言えないと思いました。
 で、大防波堤を作って「みんなが助かる。」施策を、十分かわからなくても行う事になると思いました。

 「みんなが助かる施策がない」時に、行政は「これでなんとかなる」という施策をする事。で、ダメだった時は、想定外という事。太平洋戦争の時の「火ばたき」を思い出しました。歴史から学べる事と思いました。
 津波から学べる事、歴史から学べる事を抽象化すると、みんなが正しい準備をして正しい選択をする事ができない事と思いました。200年から300年に一度、人生で一回きりで、やり直しの効かない20分間、とても難しい判断と思いました。
  1. 2011/03/24 (木) 21:40
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