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2009年05月04日(月) ◇ 忌野清志郎 (考えたこと)

 忌野清志郎さんが亡くなった、というニュースをワイドショーでやってました。相変わらずワイドショーは人が死んだ時だけ騒ぐんだよなと思いつつ、なんとなく見ていました。司会の女性が、忌野清志郎さんを「キング・オブ・ロック」と評していましたが、ワイドショーで「ロック」の話題なんてやった事があっただろうかと、「キングカズ」みたいだし、なんか日本語で王様、「キング」ってなんとなく、殿様キングス辺りからか、なんとなく間の抜けた語感かなと思いました。
 ワイドショーの視聴者の理解に合わせてか、「三浦友和さんの高校時代からの友人の、、」みたいな、うん、それがワイドショーなんだろうなと思ったのでした。

 話を聞いてると、忌野清志郎さんは、58歳。「若すぎる死」と言われていました。若すぎるか、惜しまれるみたいな、それは間違いないでしょうし、それがテレビ的にも正解でしょうし、「あんなに若くしてがんになられなくても」という意味でそうでしょう。

 忌野清志郎さんが、がんとわかった時、のどのがんで、患部の切除手術をしたら声を失うと言われて、「声」か「命」かという選択を迫られたという話を聞きました。声を失ったら「歌手」としての命は終り、その時に、忌野清志郎さんは、患部の切除手術を受けなかったそうです。
 命を「歌手」として全うしようという選択というのか、「歌手」として全てを燃焼しつくそうというのか、「歌手」として倒れるように進んでいく様に見えました。

 ここから後はうまく言えませんし、間違った言い方をしているかもしれませんし、おかしい事かもしれませんが一応書いておきます。「忌野清志郎 ブログ」という題ですが、忌野清志郎さんのブログでもありませんし、私のような一庶民が書いた事ですので、お気を悪くされないでください。

 昔、勝手に思い込んでいた事があって、それを思い出しました。それは、「才能が枯れたら、ミュージシャンは死んだも同然」みたいな、なんていうのか、「ロック」というのを、「常に革新的な音楽」と捉えて、敷衍して「新しい音楽を作り出せなくなったら、ミュージシャンとして終り。」みたいな考え方でした。
 今や時代は変わり、「ロック」も伝統芸能化して、芸能人の2世の皆さんが、次々と「ロック」の世界で活躍されるのを見るようになりました。大体、「ロック」で出来る事はやり尽くされて、「常に革新的な音楽」でなくなったわけで、同じ事なら「付加価値」のついた2世の皆さんが「ロック」をやられる時代と思うのでした。
 そういう時代で、「ニューミュージック」や「ロック」のスター達が、みんな「お年寄り」になっていくのです。どうなるんだろうかと思うのです。

 「歌手として声を出す能力」を失った自分と、未来で向き合う時間は許容できない、という考え方も理解できるし、声を失っても生きて何かの可能性を探すという考え方も理解できると思いました。それは、どちらが正解というのではなく、もう、ただ「人生の選択」という事かと思ったのでした。
 忌野清志郎さんが、手術をせずに亡くなったと聞き、改めてそういう選択を迫られた事なのかなと考えたのでした。

 忌野清志郎さんのご冥福をお祈りします。
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  1. 2009/05/04 (月) 21:22
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