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2008年04月15日(火) ◇ 友達って何 (考えたこと)

 友達って何なんだろう、ブログライブの記事「学校裏サイト」のコメント欄を読んで、改めて考えてしまいました。

 コメント欄の内容を要約すると、「ぶりっ子はキモイ」っていう事で、概念的な仮想敵を作って、同調者を作る。=友達になれそうな人を探す。
 ↓
 「ぶりっ子はキモイ」に反発する人を、具体的な「仮想敵」にして、さらに絆を深める。=友達だよねと確認する。
 ↓
 最終的には、相手を罵しり敵対して、さらに絆を深める。=友達と、非友達を決定する。

 っていう具合で、なんか、国際関係でいうと、同盟関係を結ぶために、最初は資本主義、共産主義で別れて、具体的に仮想敵国を設定して、集団自衛権を設定して、最後に戦争をするという、なんか、そのプロセスと似てるなと思いました。というか、ほとんどそのプロセスと、同じプロセスを経て、「友達」になっていくのかなと思いました。

 まぁ、ブログライブ管理人は、「学校裏サイト」の記事で、「みんな仲良くなんてできるわけない」って書きましたが、そういう状況下では、概念的に敵を作って、それに同調者を募って、最終的には、敵対して、友達を作るという手法しかないのかなぁと思いました。
 それと同じ手法が、ブログライブのコメント欄で展開されたわけで、最初、「ぶりっ子はキモイ」って書き込まれた時に、なんで、「ぶりっ子」を敵視するのかよくわかりませんでしたが、概念的な敵を作るっていう事は、友達を作る方法の第一歩かと、認識を新たにしたのでした。

 してみると、最終的に友達って何なんでしょうか。いや、友達って、すごいポジティブにしか言われないじゃないですか。友達100人できるかなとか、そんな感じで。でも、実際は違うんだよなぁ、概念的な仮想敵や具体的な敵を作り、自衛を目的とする「安全保障関係=友達」と、改めて認識したのでした。
 これが、複数対複数の「友達」同士の対立の場合は「派閥」になって、1人対その他全体の対立に収斂した場合、「いじめ」になるんだなぁと思いました。1人対その他全体の対立の場合、いわば、みんなが「友達」になる訳で、その部分においては、より安定した関係になるんですね。
 「派閥」同士の対立に比べて、友達になれる範囲が広くなるわけですから。
 してみると、「友達」の範囲を広げていこうとすると、論理的に、もっとも安定した「1人対その他全体の対立」という関係に収斂していくことになるのかな、と思いました。
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  1. 2008/04/15 (火) 20:52
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2008年04月15日(火) ◇ 裁判員制度 (考えたこと)

 裁判員制度です。いわば、素人、普通の人が判決を下すわけです。そりゃ素人が判決を下すんだから、適当になるでしょう。
 適当にならないわけがないというか、素人に何年もかけて、きちんと法律を勉強させて、ちゃんとした判決を出せるようにするなら、素人を裁判官に仕立て上げるのと一緒なわけです。じゃ、そんなめんどくさい事しないで、最初からプロの裁判官が判断すればいいんじゃ?と思うのです。

 テレビを見てたら、コメンテータの新聞社解説員みたいな人が、「裁判員が、判決の重みに押しつぶされないか?」みたいなこと言ってました。
 こういうなんていうのか、一見重みがありそうなコメント吐いてるキャスターって、なんなんでしょうか。素人が裁判に関わるんだから、適当でいいに決まってるんです。ちゃんと勉強した人だって、死刑なのか、無期懲役なのかなんて、最終的には、どっちにするか、裁判官の考えひとつなんです。
 一応こうこうこうだから、こうっていう理屈はあって、例えば、2人殺したら死刑とか、そういう判例みたいなものってあっても、必ずしも判決は、そうはならないわけです。
 その時、プロの裁判官だって、「こうじゃない?」って思ったのが、最終的な判断の基準にしかなりえないんです。
 もっと言えば、裁判の経過が公正かどうかかっていうより、「裁判の結果は、公正なモノ」っていうしか社会にとって「公正なモノ」はないっていうことじゃないかって思うのです。

 あんまり物的な証拠に裏付けられないものは、無茶って言う事で、却下されるんでしょうけど、最終的には、裁判官は、犯罪の現場にいないわけで、有罪か無罪か争う事例なんかは、結局、わからないものに、白か黒かつけないといけないっていう、それを適当っていうんじゃなくて、なんかもっともらしい理屈をつけるのが、裁判官の技術なわけで、それがない素人なら、「こうじゃない?」っていう思いつきで判断すればいいわけです。
 それが結局正しいかどうかわからないのは、裁判官が下すのと一緒じゃないかと思うのです。

 いや、はっきり言うと、裁判官だって事例によっては、「有罪」と「無罪」と、あとひとつ、「よくわからない」っていう判決を下したいと思うんじゃないかと思います。それで、「よくわからない」っていう判決を出して、くじ引きでどっちかを決めるのと、裁判官がどっちかに決めるのと、裁判員が適当に決めるのと、実は同じじゃないかと思うのです。
 まぁ、それじゃあまりにも納得しないだろっていうことで、重々しい裁判所の建物とか雰囲気とか司法試験で勉強したんだからみたいに、そういう要素を持ち込んで、どっちかに決まったことに納得させようとしてるんじゃないかと思います。
 そういう、裁判のホントはテキトーな部分を認識することから始めないと、間違っちゃう気がします。
  1. 2008/04/15 (火) 01:07
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