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2007年09月16日(日) ◇ 自殺ブログ (考えたこと)

 「自殺ブログ」っていう言葉で検索して、ブログライブに来た人がいるのをアクセスログを見つけました。
 「自殺ブログ」について書いたことあったっけ?と思って調べてみたら、「姉歯一級建築士の妻 自殺」という記事のタイトルと、ブログ名の「ブログライブ」が連続して「姉歯一級建築士の妻 自殺 ブログライブ」みたいになってて、それに応して検索されたようでした。

 いや、運命論でも書いたんだけど、自分ができることっていうのは、自分の遺伝子に書かれている範囲を越えないんじゃないかと思うのです。
 外的要因があっても、自分の能力の伸びっていうのは、遺伝子に書き込まれた能力以上にはならなくて、成績が良いとか、頭が悪いとか、人付き合いが良いとか、悪いとか、人間性に関わる部分も全て、能力の質とか量は、遺伝子に書き込まれているんじゃないかと思うのです。
 さらに言えば、自殺する人は、遺伝子に、自殺っていう選択を選ばされてるんじゃないかと、ふと思うのです。

 社会っていうのは、多種多様な人間が生まれて、その中から、頭の良い(成績の良い)人間をセレクトするシステムが、受験だったりして、結局は、お金を集めることが出来るか出来ないかで、子孫を残せる人間をセレクトするシステムだと思うのです。

 そのシステムから考えれば、子孫を残しているかどうかが、価値観の全てなのでしょう。自殺した人でも、子孫を残しているかどうか、その面から、個体として良い個体だったか悪い個体だったかを比較することも出来ると思います。
 いや、なんとかセラピーとかで、「自殺」を止めるように勧めることも大切と思いますし、全体として、自殺率が上がることは、良くないことと思います。

 しかし、「自殺」っていう方法で死のうと考えて、「自殺」する個体は、結局「自殺」で淘汰されて減るだけと思います。「自殺」を選ばない個体が生き残って子孫を増やして、補完してきて、種全体として数が維持されていると思います。
 人間が、自殺する個体を残し続けられるのは、人間の寿命が伸びて、繁殖後の中高年時期が長くなり、その時期に「自殺」する性質が生まれたと解釈できると思います。繁殖前に自殺する個体では、「自殺」する性質が遺伝しないでしょうから。このシステムで、永い間、「自殺」を考える個体が一定率発生し続けて、「自殺」自体は、生き残っていると思います。
 「自殺ブログ」とか、「自殺サイト」とか、自殺についてのブログやサイトがインターネット上にあることも、そういう人間の性質を反映しているという意味では、やむを得ないことなのかなと思います。

 この記事は、「自殺ブログ」というタイトルで自殺について書きましたが、これを読もうと読むまいと、自殺する人はするわけで、しない人はしません。
 自殺するか、しないか、自分の人生を判断しているようでも、実はその判断は、自分の遺伝子に支配されている。それが事実なのかなと思います。

 いや、欝の人に自殺を勧める気は毛頭ありません。上に書いてあるコトを認識して、「努力しても、どうにもならない壁がある」っていう事で、気分がラクになる人がいれば幸いと思います。
 こんなコトを書くのは、秋のせいで、ブログライブ管理人の気分が少し落ち込んでいるせいかなと思います。
 この記事では、締めに「生きることはいいことだよ」と書いて、お口直しにしたいと思います。
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  1. 2007/09/16 (日) 09:00
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