FC2ブログ
| ◇ |

2007年03月11日(日) ◇ 森進一さん、がんばって (考えたこと)

 今、森進一さんと、川内康範さんとの間で、騒動が起きている。
 紅白で、森進一さんが「おふくろさん」を歌っているのを聞いた記憶はある。その時は、曲の前にメロディを付けた語りを入れたと、思っただけだ。
 その後、騒動になって、もう一度聞いたんだけど、問題になった部分は、メロディも良いし、詞も上手だなと思った。むしろ、これが、何で問題になるのか、疑問を感じた。

 今回の騒動があって、色々調べて考えてみたが、川内康範さんの「おふくろさん」の前に、別の作品(保富庚午さんの作詞、猪俣公章さんの作曲。)を歌ったと考えるのが、最も納得できる。
 曲の前に、別の曲を歌うのであれば、問題にならないし、著作物の改変には当たらない。
 要は、あの部分を、別の作品として、明示しなかったことが問題になると思う。
 そういう意味では、あの部分に、曲名がついていないことも、問題と思う。

 そう考えると、他の作品が、自分の作品の前に歌われたからといって、怒るのはおかしくないだろうか。
 他の作品が自分の作品の前に歌われて、その作者が明示されなかったからといって、作品を改変したことにはならない。それは、自分の作品が、どこからどこまでかを知っている作者なら、すぐにわかることだろう。
 紅白の放映内容では、川内康範さんの作品部分以外について、字幕で、作詞者、作曲者が明示されなかったことに問題があると思う。

 自分の作品を尊重するのと、同じに、他人の作品を尊重するのが、当然じゃないだろうか。それを作品の改変と主張して、騒ぎを大きくして叩く手法が世の中に受け入れられた訳で、実に奇妙に思う。

 川内康範さんが、今回の騒動の中で、「おふくろさん」の解釈を言っている。
 作品で言いたいことがあれば、作品にはっきり書くべきだろう。逆に言えば、書いてあること以外は、わかるはずがない。
 はっきりいうと、「おふくろさん」は、作者の意図以外の解釈もできる作品なのかなと思う。
 それは、むしろ、聞き手や歌い手が自由に解釈できるという意味では、「良い曲」といえる。

 作品を、どう解釈するかは、聞き手や歌い手が、解釈するものと思う。
 作者が、書いた内容以上に、聞き手、歌い手に解釈を押し付けるのは、作者の思い込み以外の何物でもないと思う。

 森進一さんは、「別の作品」を「おふくろさん」の前に歌ったという事と、「別の作品」と「おふくろさん」は関係がなく、「おふくろさん」を改変していないという事を、はっきりいえばいいと思う。
 森進一さんは、「おふくろさん」を今後歌わないかもしれない。そういう意味では、歌えるヒット曲が減った訳で、痛手と思う。そういう意味では、がんばってほしい。
スポンサーサイト



  1. 2007/03/11 (日) 07:03
  2. | トラックバック:7
  3. | コメント:1
| ホーム |
ブログライブ

最近の記事

Calender RSS1.0

ブログライブ内記事検索

Category

Archives

Recent Comments

Recent Trackbacks

Links

ads