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2007年03月02日(金) ◇ それでも僕はやってない (考えたこと)

 今話題の映画、「それでも僕はやってない」。一番初めに、この映画の存在を知ったのは、TBSラジオの「久米宏ラジオなんですけど」に、周防監督がゲストで来たこと。

 さらに、何週か後に、TBSラジオの「伊集院光日曜日の秘密基地」に、周防監督がゲストで来て、この日は、伊丹監督のことを話していた記憶がある。確かこの日は、「伊丹監督が日本映画を背負っちゃったのかな」とか、「(周防監督は)日本映画を背負いたくない」っていうようなコトを、あと、周防監督が「野球が好きで、実際ピッチャーとして投げるのが好きで、11年間映画を撮らない間は、野球をやっていた。」みたいなコトを言ってて、伊集院光と周防監督で、野球の話が合ってたと思いました。

 その後、色々プロモーション番組とか、映画批評の番組とか、映画の題材を書いたブログとか、映画の映像を一部見たり、裁判制度が被告人を犯人扱いしているとか、リアルに分かりやすく裁判制度を描いているとか、瀬戸朝香が弁護士役で、「ホントにやってないの?」とか言う台詞を言ったやつを見たりして、想像が膨らんでいます。
 それで、どうやら、結末は執行猶予の有罪くらいかな?と思ってるんですが、ハッピーエンドではないみたいなことが書いてあったブログは見たんで、ハッピーエンド=無罪ではないだろうと思いました。執行猶予の有罪+罰金位が、後味の悪さがちょうどいいだろうと、有罪で収監っていう終わり方だと、あまりにも後味が悪そうだし。

 で、結局、まだ、「それでも僕はやってない」を見ていない。はっきり言っちゃうと、ファーストデイでも、1000円払わないと見れないわけで、どっちかというと、地上波テレビで放映されるまで待ってようかなと、思ってるんです。
 逆に、見ていないから、こういう結末がふさわしいだろうと想像をブログに書けるわけで、ネタばれにもなってません。
 
 にしても、ブログ評なんかで、裁判所の「推定有罪」みたいなことが実情という話や、裁判官が無罪を出すことは、国家権力にたてつくことで裁判官と検察官の関係上よくないとか、やってないコトを証明することは難しい(ほとんどできない)こととかを思うと、裁判所に被告人として関わるのは、御免被りたいと思いました。
 もし、電車に乗ってて、痴漢と間違われることがあったら、その場で、人ごみの中に逃げて警察に行かないようにするのが得策なのか?と思ったり、男性専用車が必要だろうと思ったり、見てないのに、まぁ、いろんなコトを考えさせられる映画です。

 これだけ、考えさせられると、映画としての出来はいいんでしょうね。ただ、でかいスクリーンで、最新の音響設備で見る映画かどうかとは、別物の様にも思います。
 裁判制度という、論理的なシリアスな問題を、映画という媒体でわかりやすく多くの人に伝えて、しかも、商業映画として成功している訳で、良い映画と思います。

 ただ、ここまで、見る前に情報が集積されちゃって、こういう感想だろうなとか、こういう筋で、こういうエンディングだろうなとかが発酵しちゃうと、もう、見ると、その考えていたこととの比較になって楽しめないのかなとも思います。


 あと、映画としてのシナリオの根本に関わっちゃうと思うんですが、最初に被告人がやってないところを、見せるでしょ。あれって、どうなのかと、思うんですよ。
 実際の裁判では、裁判官も検事も、事実は知らないわけです。事実は、本人しか知らないんです。それなのに、観客に、事実として提示された映像を最初から見せて、心理的に誘導していく手法は、「第三者的」ではないなと。逆に、被告にとっては、リアリティがある部分と思います。

 むしろ、裁判官の側から見て、次々と、被告人が来て、日々裁判を繰り返すわけですよ、有罪だか無罪だかは、裁判官だから下さないといけない、でも、最終的に裁判官は、事実を知らない訳で、出世していく裁判官は役所の中でうまくやってる裁判官、みたいな映画はどうなのかと、想像するんです。

 実際、裁判をする側から見ると、どう見えるんでしょうか。いや、検察と被告人、どちらが正しく見えるかみたいに、なっちゃうっていう辺りをリアルに描いたらと、思います。
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  1. 2007/03/02 (金) 08:45
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